自己肯定感の語源
自己肯定感という言葉とその概念は比較的新しいものです。その言葉を最初に使った「自己肯定感の生みの親」とされている方がいますので「自己肯定感 A to Z」(たま いちえ・阿部隆行共著)から、その解説部分を引用します。
その言葉を最初に使ったのは臨床心理学者であり、立命館大学の名誉教授・京都教育センター代表である高垣忠一郎先生です。高垣先生は既に引退されていますが、これまで長年大学で教える傍ら、臨床心理とカウンセリングの現場で若者と向き合ってきた臨床心理学のプロフェッショナルです。高垣先生はそのご経験から、若者がその生きづらさを解消するためには「自分が自分であって大丈夫」と、自分を受け入れることが大切であるとして「自己肯定感」という概念を広められたのだと思います。
「自己肯定感 A to Z」 第1部第2章より
初めて「自己肯定感」という言葉が書物に登場したのは、1994 年のことです。この年に刊行された高垣先生のご著書「大事な忘れ物 登校拒否のはなし」(法政出版)の中に「自分が自分であって大丈夫という『自己肯定感』」という記述があります。
さらに遡って、1991 年刊行のご著書「揺れつ戻りつ思春期の峠」(新日本出版)にも「自分が自分であって大丈夫」という記述があり、それ以前から高垣先生はこの概念の大切さを人々に伝えていたことがわかります。
自己肯定感の意味
高垣先生の意味した自己肯定感は「何かができるようになって」得られるものではなくて「自分が自分であって大丈夫、とあるがままの自分を受け入れる」ことで得られる自己肯定感だと言えます。自己肯定感を教える人や書籍が「能力を高めましょう、頑張って何かができるようになりましょう、何かを達成することで自己肯定感を上げましょう」というのは、自己肯定感という言葉と概念を最初に使った高垣先生の意図から、ずれているのではないでしょうか?
高垣先生は、現在の自己肯定感にまつわる意味や使われ方に警鐘を鳴らしておられます。高垣先生のご著書「いきづらい時代と自己肯定感」から引用します。
なんどもいいますが「自分が自分であって大丈夫」とは自分の特性や性能を評価して自分を肯定するものではありません。自分の持つ性能・特性がどうであろうと、たとえ、それが気に入らないものであろうと、それもまた「あるがままの自分」だからとそれを引き受けて生きることです。それは自分とともに生き、その子と共に生きた時間と歴史のなかで培われる、「みちづれ」的存在へのいとおしさから生まれる自己肯定感だといういい方もできるかもしれません。
高垣忠一郎著「いきづらい時代と自己肯定感」89 ページから引用
能力が高いこと、何かができること、何かを達成することは間違いなく好ましいことです。しかし、それらがなくても、もしくは将来それらがなくなってしまっても「自分が自分であって大丈夫、とあるがままの自分を受け入れる」ことこそが自己肯定感の本来の意味なのです。
私たちがこの自己肯定感の本来の意味に立ち返ることはとても大切です。
なぜなら先ほど述べたような「能力を高めましょう、頑張って何かができるようになりましょう、何かを達成することで自己肯定感を上げましょう」では、結果的に「それが出来ない自分、つまり自己肯定感を上げることができない自分はダメな人間だ」となってしまいやすいからです。それでは自己肯定感という言葉がまったく逆の意味で使われることになり、自己肯定感が私たちを苦しめる言葉となりかねません。
ここまで、自己肯定感の語源と意味を解説してきました。
自己肯定感については「自己肯定感 A to Z」(たま いちえ・阿部隆行共著)をお読みいただけると、より理解が深まります。
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